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知られざる研究問題・薬学部6年化とその影響

2012年06月13日
csij 【019. 科学教育・科学コミュニケーション】
横山 雅俊(市民科学研究室理事)


PDFファイルはこちらから→http://archives.shiminkagaku.org/archives/shiminken-12-yakugakubu.pdf


 知る人ぞ知る話だが、今から6年前の 2006 年4月、日本の大学の薬学部が6年間の課程になった。
 もう少し正確に述べると、薬剤師国家試験の受検資格にその卒業を要する薬学部の課程(多くの場合薬学科と称する)が同年度から6年間に増えた。その第1期生が、今年いよいよ世に出た。

 その薬学部6年化において、最大の目玉は5年次に必修科目として設けられた半年間の臨床実務実習である。4年次の終わりに学習到達度の判定試験と臨床実習の予備試験を合格すると5年生に進級できて、半年間の臨床実習に進む。通常は、大学や実習受け入れ先の都合などを鑑み、年度上半期と下半期に受講するグループに分かれる。1ヶ月間の事前講習を経て、病院と調剤薬局でそれぞれ2ヶ月半の実習を行う。

 実は、薬学部を6年間にしようという動きだけなら、昭和 20 年代から存在した。日本薬剤師会や日本病院薬剤師会、厚生労働省の一部関係者などの悲願として、議論だけは続けられてきた。だが、文部科学省や国立大学の側では、反対論が根強かった。その綱引きの内容には変遷があるが、2002 年に文部科学省で設けられた「薬学教育の改善・充実に関する調査研究協力者会議」[1](以下、協力者会議と略記)での議論で、最終的に薬学部の薬剤師養成課程を6年化することが提言され、同年2月の第 32 回中央教育審議会大学分科会での議論を経て、学校教育法と薬剤師法の改訂を以て正式決定した。ただ、主に基礎薬学の研究や薬剤師以外のキャリアを指向する4年制の課程(多くの場合、薬科学科と称する)が一部に残され、本年から 12 年間の経過処置として、所定の条件を満たせば4年生の薬学部出身者でも薬剤師国家試験の受験資格が得られることになっている。

 その経緯だが、大胆に言ってしまうと、実は驚くほど貧相な議論しか行われていない。

 ご興味のある方々は、上記の協力者会議の議事録や配付資料を御覧いただきたいのだが、それらを読むかぎり、薬学部6年化を推進する見解は、諸外国の薬剤師養成が5年ないし6年間であり、「従って、学部教育の連続性が重要」のほぼ一点に尽きる。提出され議論に供されたデータは豊富なのだが、学部の6年化に反対し「学部4年+大学院修士2年」を主張する国公立大側と、「学部6年」を主張する厚生労働省、日本薬剤師会、私立大学という綱引きにほぼ終始している。

 中教審第 32 回大学分科会に寄せられた意見公募でも、薬学部6年化に賛成もしくは反対するそれぞれの意見は、左記の対立の構図をほぼ反映している。

 更に驚くべきことに、目玉のはずの半年間の臨床実務実習をどうするかという課題を、薬学部6年化が正式に決定してから、『では、どうしましょうか?』という調子でシステム設計の議論が開始された。協力者会議での議論でも、制度設計に関する具体的な提案は議事録や報告を読むかぎり少なく、臨床の場での薬剤師の資質向上のためにこれこれが重要という主張ばかりが並んでいる。大学教育の中で臨床医療の人材育成をどうしていくか、何をどう組み込み、6年間のカリキュラムの中でのバランスをどう取るかという問題意識は、臨床関係者の側には残念ながら希薄で、解決策としての制度の提案は臨床医療関係者の側からは少なかったのが実態と考えられる。

 そのことは、臨床の場にいる薬剤師の側の当事者意識とも結びついている。

 日経ドラッグインフォメーション 2011 年1月号[2]によれば、既に現場にいる薬剤師達の見る目は概ね冷ややかで、薬学部6年化の是非に関しては「6年化してよかった」と「4年生のままで良かった」がほぼ半々、自分たちの子どもを6年生課程の薬学部に進学させたいか否かという問いには「進学させたい」「どちらかといえば進学させたい」が計約 24 %、「進学させたくない」「どちらかといえば進学させたくない」が計約 57 %。長期実務実習への協力姿勢に関しては、6割弱が積極的だが、全体的にかなり温度差のある意識の分布が見られる。

 教育を受ける実際の学生の側はどうか。

 実は、薬学部を志願する高校生(浪人生を含む)の数は、2004 年をピークに減少傾向にあり、6年制薬学部が始まった 2006 年には、前年比で3割も減っている[2][3]。

 実際に教育を受けている6年制薬学部の学生の生の声はどうかというと、実は非常に危機意識を持っている可能性が高い。筆者が個人的に接触した限りで、調剤薬局に臨床実習に来ている学生さんや、インカレの薬学生団体「日本薬学生連盟」の学生さん達の声を直接聞くに、制度に翻弄されているという心証を強く持っている。目玉の臨床実務実習に関しても、実習先の当たり外れの差が非常に大きいという意見がある。

 この点、協力者会議で薬学部6年化の議論をしていた最中から、国公立、私立を問わず実際に教育や研究の現場に携わる方々の声として、学生の質の低下や、実習受け入れ先との各種調整の困難、実務実習を受けた学生からの苦情などが実際に上がっている。筆者の個人的な知己の範囲でも、そうした声があるほどだ。

 そうまでして薬学部を6年化して、本当に良かったのかどうか。

 人材需給の観点からは、批判的な声が国公立大学関係者からは、以前から強かった。東京大学薬学部教授の松木さんは、自身の Web サイト[4]で一連の動きを鋭く批判し続けている。2003 年に発表された「薬剤師が足りない? 薬学部教育の行方」[5]では、日本の薬剤師の数は総数では余っているが、
現場は人手不足の状態にあり、他方で薬学部や薬科大学の新設が続き、薬剤師の供給過剰の可能性を述べている。

 単純に考えても、2003 年以降薬学部の数は 1.5 倍に増え、薬学部6年化で学生数も 1.5 倍になるとすると、それまでの薬学部生数約4万人(2003 年当時)がやがて9万人に膨れ上がり、理系学部では工学部(約 44 万人;2003 年当時)に次いで2番目に大きい学部に膨れ上がることになる。むろん実際には、少子高齢化と薬学部人気の低下により、このシナリオは非現実的なものだが、そうした懸念は協力者会議で6年化の議論をしていた当時から存在した。

 更に問題なのは、日本の生命科学の研究のかなりの部分を、医学部と薬学部が担ってきたという歴史的事実である。前出の松木さんを始め、国公立大学の関係者の多くが主張しているように、薬学部の出身者の社会における活躍の幅は元々本来幅広く、教育の一環として研究を行うことの功罪はあるものの、優れた人材を多様な分野に送りだしてきた実績は否めない。薬学部が臨床医療の人材育成に特化することは、そうした社会貢献の多様な可能性を狭めるものだという批判は、実はかなり根強い。

 それでも、既に6年制薬学部は既に卒業生を輩出している。

 その真価が問われるのはこれからであるが、こうした問題は、実は市民社会においては殆ど知られていないのではないか。

 加えて、実際に教育を受けていたり、薬学部やその大学院で研究をしている方々、及び臨床医療に従事していたり、製薬企業や臨床医療の場で活躍している方々のそれぞれの状況の理解や問題意識、一連の文脈に対する当事者意識には、非常に濃淡がある。

 薬学の関係者が垣根を超えて集う場としては、日本薬学会という学会が存在している。そこには、大学や国研、製薬企業において教育や研究、開発に携わる人材、臨床医療の場で医療に従事する人材、行政の場で構成労働の問題や医薬品の期生、評価などにかかわる人材が垣根を超えて集っている。しかし、それらの各セクタの間で積極的な異分野同士の交わりがもたれた例は、筆者が知りうる限り非常に少ない。薬学部6年化に向けて、そのコアカリキュラム[6]〈実際には、教育指導要綱とでも言うべきもの〉の作成に借り出されて、各セクタの人材が共に従事したのがその数少ないうちの一例か。

 そうしたことから、筆者は今秋開催予定の科学コミュニケーションの祭典「サイエンスアゴラ 2012」
において、その第1回から出展を続けている研究問題のワークショップ「本音で語る」シリーズを、今年も出展することにした。そのテーマに、薬学部6年化問題を取り上げることにした。企画名は、「本音で語る"専門職学位"~薬学6年化は成功するか~」にする予定である。

 ここに、研究問題とは、科学と社会の接点における影の部分や負の側面にある問題群のことを指し、具体的には、例えば研究者のキャリア問題、科学技術政策、研究不正、研究現場の人間関係、研究室運営、大学や研究所の理想像、研究の進め方などの問題群がその範疇にある。筆者の考える科学コミュニケーションは、科学と社会の接点における問題を、科学の魅力や意義に限らず、その影の部分や負の側面も大切に品柄、異なるセクタをまたがって共有する営み一般のことである。それは、サイエンスアゴラが掲げるそれ[7]と、概ね一致していると思う。

 加えて、薬学という分野は、それ自体が複数の学問分野が横断的に相互作用する学際性を持ちながら、
同時に科学と社会の接点における問題群をも扱う点で、上記の意味での科学コミュニケーションの実践と深く結びついていると言える。そうした点から、今回のワークショップ出展には、大きな意味があると筆者は考える。

 一連の問題意識を市民社会と専門家で共有し、薬学の中の異なるセクタにいる関係者同士を繋げるための試みが、今必要になっていると筆者は思う。ことに、その問題の渦中にいて、問題の行く末に左右される研究、教育、臨床医療、開発、行政の現場の声を、問題意識の共有とその解決に結びつける一助に、今回の出展を結びつけたいと願って、いま静かに準備を進めている。

注:
[1]下記 URL を参照:
http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/286794/www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/022/index.htm
[2]日経ドラッグインフォメーション 2011 年1月号、特集「これで良いのか? 6年制薬学部」
[3]文部科学省「学校基本調査」
[4]マッキーのページ:
http://www.f.u-tokyo.ac.jp/~matsuki/index.html
[5]マッキーのページ「薬剤師が足りない? 薬学部教育の行方」:
http://www.f.u-tokyo.ac.jp/~matsuki/series/pharmacist.htm
[6]日本薬学会の下記を参照:
http://www.pharm.or.jp/kyoiku/modelcore_curriculum.html
[7]サイエンスアゴラ 2006 の下記最下部を参照:
http://scienceagora.org/scienceagora/agora2006/

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